ドキュメンタリー🎥ヤクザと憲法
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
タイトルの通り、ドキュメンタリー『ヤクザと憲法』を観た。
Twitterに見た直後の感想はあげたから、そこから考えたこととか、なんやかんや書いておきたい。
ドキュメンタリー🎥『ヤクザと憲法』at名古屋シネマテーク。明日までの上映と思いきや、追加公演「3/5〜3/11 17:20 3/12〜25 15:20。3週間でいずれも一日一回の上映です。」とのこと。国家権力の理不尽さ。憲法が変えられて基本的人権剥奪されたら…と思うと本気でコワイ
— たまきんぎょ Tama_kingyo (@tAqvxvpmA) 2016, 2月 4
「警察」ってラベル剥がされても同じことできるのかよ!!と、熱くなってしまいました。んー。夜風で冷まさないと!! にしても、『ヤクザと憲法』ヤクザよりもだんぜん警察が怖かったな。
— たまきんぎょ Tama_kingyo (@tAqvxvpmA) 2016, 2月 4
もちろん、このドキュメンタリーのメッセージは、「憲法に明記されている"法の下の平等"とは何か?」という、一般市民に対する問いかけで、その視点(制作者の立ち位置)はヤクザ側にあることはわかっている。
それでも、家宅捜査に入った警察が「警察」という「正義」を盾に「ヤクザ」と名付けられた「悪」に対して、そして取材のカメラに対して、権力を行使する様を観て、それを「正義」と言えるだろうか?と怖くなった。
「異物」を「排除」することで「健全」を謳うこの社会システムを「健全」と言えるのだろうか?
もしも社会に「異物」とされたとき、市民である自分を守る機関はないの?
現行の「憲法」を機能させる機関が存在していないということ?
「改憲」ではなくて、現行の「憲法」を機能させる機関の設立が必要なのでは?
「社会的弱者」という言葉があるが、「弱者」を存在させる「社会」って言い換えられるよね?
他にもふと疑問が浮かんだ。
なぜ、タバコは合法で、マリファナや覚せい剤は違法なのだろう?
なぜ、放射線による品種改良ではなく、遺伝子組換えが心配されるのだろう?
また疑問ばかりだ。