ダンスとラップの『ありか』
愛知県芸術劇場小ホールで公演された舞台『ありか』
4/23に行き、翌4/24にも行ってしまった。
2日間通った理由をまとめていきたい。
翌4/24の公演にも行った理由は以下の通り。
・4/23の公演で開始直後や所々でなぜか涙が流れた。その理由を知りたくて。
・こんな風に舞台してみたいと思った。
(こんな風=起承転結の大枠のみであとは自然体であることを要求される)
・島地さんと環ROYさんの凸凹が心地よかった。
(凸凹=身長、体型、動作、言葉、雰囲気などについての違い)
・島地さんのダンスをもっと近くで見たいと思った。
・環ROYさんのその日にしか聞けない即興ラップを聞きたいと思った。
・環ROYさんのドロドロ人間の姿、「循環」っていうのを聞きたかった。
もっと色々ありそうだけど、ざっとこんな感じ。
島地さんはすごく「舞台」って感じがして、それに対して環ROYは「日常」とか「あるがまま」という感じで、微妙なバランスが崩れたり再構築されたりしているのが、舞台への距離感の変化になっていた。
その距離感の変化は観客にも変化を促していると思って、それが24日の公演中の子どもの声からわかった。環ROYさんがラップしてると子どもが「キャハ」とか笑ってて、島地さんの動物の時も笑ってはいるんだけど、笑顔で動きを追っていた(と思う)。
受け取る側のことを考えることは、作品を考えることなんだなぁ。
どう見られるか・見られたいのか=作品そのもの
(多分)島地さんからいい匂いがした🌸
ー自分ごとー
「どう見えるか」しか考えてなかったー😭
結局なんで涙が出たのかは分からない。多分ドロドロ人間は自分の中にもいると思ってて、形にならない形とか、言葉にならないもどかしさに対する自分の反応が涙なんだとしておく。