涌井智仁さんの「long,long,long」in 高円寺 Garter
Garterに入ると、柔らかな土のふかふかとした感触が印象的な空間があった。
二本の人口木にはiPadが設置され「long,long,long」と「Yes」の文字が再生されていたと記憶している。
Garter自体が退廃的な建造物のため、展示自体が持つ退廃的なデザインが浮き立つこともなくそこに存在していた。
一つ不思議に思うことがある。なぜ彼はBeatlesの曲で作品をまとめたのだろう。ある象徴を利用することはなんとなくの雰囲気を伝えるだけで、むしろ伝わらないものになって「まとまってますね。」っていうものになる。たくさん考えて一つ一つのものを制作しているのに、それが全く伝わっていないと感じられて少し結構悲しい。そう思ったのは、彼が話しをしていた相手が作品と対峙していないように見えたからかもしれない。でも、人って見た目と頭の中で考えてることとか、私もそうだけど時間が経過してからの方がじっくり考えられるとか、そういうことってあるから一概にはいえない。
それは最近展示を見ていて思うこと。ひそひそ星の展示では説明書きを読まない人が4人中3人もいて驚いた。それが現実なんだ。きっと「ここに行ったよ〜」という写真を伴った事実をSNSにアップすることが目的になっていて、SNSを通して見える自分を装うことが欲望されてることなんだと。それか「習ってないからできない」ことなのかもしれない。
けど、制作している人が伝えるために作っているのかと言われると、そういう部分とそうでない部分とがあるだろうから、なんとも言えない。
ただ、「伝える」ということになるとやっぱりテレビってすごいパワー持ってるなと感心してしまう。ほぼマンツーマンってか一方的に個人に対して見せることができる伝えることができるツール。なんとなく見てしまうし。それで最近映像作品が多いのかな。
で、「long,long,long」についての話に戻る。
展示会場には涌井さんがいて、背中合わせに設置された大型ディスプレイとiPadが数分間隔で回転する作品のメンテナンスをしている時、回転したはずみでネジが飛んできたのが個人的に一番のハイライトだった。あとはスピーカーからの良音。
下記4要素が見える形になっている方が、私は涌井さんの頭のなかを見られたのではないかと思う。
「オープンソース化されるプログラム」
「涌井という作家によって制作された映像作品」
「映像を流す為のデバイス」
「電波となって宇宙を漂うデータ」
こんな風に振り返っていると、もう一回見に行きたくなってきた。
はぁ。このにっきは書きなおしたものだけど、どうしても自分偉そうでちょっとしょんぼりなにっき……